クルマ好き・ロードスター乗りの四方山話。サイバーロードの交差点と言ったところでしょうか。。。
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このネタを今更。既にブームが終わっているのかもしれない。
TVは、ドラマしか見ないような生活を送っていると、流行にすっかり乗り遅れていたようです。
今更ながら、このニュースをみてびっくり。最初とその後数件のランドセル寄付があったことは知ってましたが、47都道府県に至っているとは!
まずは、素直にすばらしいことと思います。 伊達直人を名乗ろうと、実名だろうと自分にはできない行為ですから。
ちょっと話はズレますが、「伊達直人」ときいても、ピンとこないワタシ。 うん。タイガーマスクは年齢からしても、再放送のアニメを見た覚えがあるわけですが、ガキのころからプロレス=興行と理解していたワタシにとっては、のめり込む対象ではなかったのだと思う。 同じリングでもボクシングに価値を感じてたわけで、ジャイアント馬場よりも具志堅だし、伊達直人よりも矢吹丈だったわけ。
施設の子供たちの世代では、なおさら「伊達直人」は詠み人知らずの感がただよっているであろうが、かえって「ドラえもん」やら「あしながおじさん」よりもずっとリアリティ感を漂わせているような気もする。万葉の詠み人知らずの歌に深みを感じるように。
さて、その「伊達直人」。そう、偽名を使用した件については、まじめに考えると日本人の「善」に対するあり方を示唆していると思う。ワタシたちは、寄付と言うのになじみがない・・・たぶん・・・恐らく戦後以降特に。
村に行けば、嘗ての有力者の寄付の証やら神社や公民館等々にずらりと寄付金と氏名が並んでおったりするわけだら、(これらを寄付というか反論もありそうですが)実名でお金を寄付する行為自体が、日本に全く馴染みのない行為だったと言うわけではないと思う。
が、現在ワタシを標準的な日本人という前提で述べると、「善行」は人知れず行ってこそ真の「善行」であり、実名を名乗るなど「偽善」「売名行為」の罵声を受けかねない恐れを感じているのではないでしょうか。ましてや、昨今は「金持ち」と思われることは「悪」や「搾取」というねじれたレッテルを伴いがちなわけで、「寄付」という行為にリスクを感じるわけ。
そうだとすると、今回の行動に出られた方々の多くが、寄付という素直にすばらしい行為をわざわざ「伊達直人」という偽名を使用することで、洒落っ気を混ぜざるを得なかった・・・のではなかと思うわけです。
他人に対する尊敬の念・・・成功者を尊敬する、善人を尊敬する、そんな単純で素直な感情が、なぜか「公平」という価値観が捻じ曲げてしまう。 そんな歪んだ一面をはらんでいるワタシであり近頃の日本人ということではないでしょうか。
TVは、ドラマしか見ないような生活を送っていると、流行にすっかり乗り遅れていたようです。
今更ながら、このニュースをみてびっくり。最初とその後数件のランドセル寄付があったことは知ってましたが、47都道府県に至っているとは!
まずは、素直にすばらしいことと思います。 伊達直人を名乗ろうと、実名だろうと自分にはできない行為ですから。
ちょっと話はズレますが、「伊達直人」ときいても、ピンとこないワタシ。 うん。タイガーマスクは年齢からしても、再放送のアニメを見た覚えがあるわけですが、ガキのころからプロレス=興行と理解していたワタシにとっては、のめり込む対象ではなかったのだと思う。 同じリングでもボクシングに価値を感じてたわけで、ジャイアント馬場よりも具志堅だし、伊達直人よりも矢吹丈だったわけ。
施設の子供たちの世代では、なおさら「伊達直人」は詠み人知らずの感がただよっているであろうが、かえって「ドラえもん」やら「あしながおじさん」よりもずっとリアリティ感を漂わせているような気もする。万葉の詠み人知らずの歌に深みを感じるように。
さて、その「伊達直人」。そう、偽名を使用した件については、まじめに考えると日本人の「善」に対するあり方を示唆していると思う。ワタシたちは、寄付と言うのになじみがない・・・たぶん・・・恐らく戦後以降特に。
村に行けば、嘗ての有力者の寄付の証やら神社や公民館等々にずらりと寄付金と氏名が並んでおったりするわけだら、(これらを寄付というか反論もありそうですが)実名でお金を寄付する行為自体が、日本に全く馴染みのない行為だったと言うわけではないと思う。
が、現在ワタシを標準的な日本人という前提で述べると、「善行」は人知れず行ってこそ真の「善行」であり、実名を名乗るなど「偽善」「売名行為」の罵声を受けかねない恐れを感じているのではないでしょうか。ましてや、昨今は「金持ち」と思われることは「悪」や「搾取」というねじれたレッテルを伴いがちなわけで、「寄付」という行為にリスクを感じるわけ。
そうだとすると、今回の行動に出られた方々の多くが、寄付という素直にすばらしい行為をわざわざ「伊達直人」という偽名を使用することで、洒落っ気を混ぜざるを得なかった・・・のではなかと思うわけです。
他人に対する尊敬の念・・・成功者を尊敬する、善人を尊敬する、そんな単純で素直な感情が、なぜか「公平」という価値観が捻じ曲げてしまう。 そんな歪んだ一面をはらんでいるワタシであり近頃の日本人ということではないでしょうか。
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